誰よりも優しくあれ
父が他界しました。
長い期間、ずっとお気遣いを続けていただいた皆さんへの報告と御礼です。
入居施設にて体調が急変。3/23、日本時間の21時過ぎに搬送先の病院にて息を引き取りました。
大好きだった亡き妻のところへと向かっています。
こんなことを書いてます
オンライン面会
2年4か月ぶりに父と再会できたのは、2週間前の3/08でした。入居施設のご厚意で「オンライン面会」が実現したからです。
入居前に大きな手術をした影響で言語障害と寝たきりになっていましたが、ぼくらが話しかける内容はよく分かっていたようです。
そして昨日、2度目の「オンライン面会」 その9時間後には容態が急変して病院へ搬送。2時間後に息を引き取りました。
母が他界したときとは違って、亡くなる直前にもビデオ通話で顔を見せてもらえたこと、最後に感謝の言葉を伝えられたことだけでも有難い気持ちでいっぱいです。
自己表現が苦手
じつは父を尊敬していませんでした。ぼく自身が勝手に決めつけた短所しか見ておらず、むしろ、父のようにはなるまい!って心に強く決めていたのです。
ところが、父が亡くなった直後から思い出されるのは、彼の温かい言葉や表情ばかり。不思議なものですね、ぼくが大好きだった彼の姿ばかりが浮かんできて・・・
父はTVニュースや新聞に向かって、世間や政治家に文句を言うのが常でした。生活で顔を合わせる身近な世間に対しても、同じように相性の悪い人たちが多かったようです。
正直、そんな父を見ているのは嫌で、ぼくは無言のまま一緒に過ごしていたのです。
だけど、家族や仲間うちに対しては真逆。忍耐強く見守ってくれていたんですよね。
自分の気持ちを言語化するのが苦手だったからこそ、継続しながらとことん相手をいたわったり想いやったりしていたのだと想像します。
亡くなった母が入院中に詠んだ短歌には、そんな不器用ながらも優しすぎる父が表現されています。
口数の 少なき夫の見舞う日は 臥せる(ふせる)ベッドの軋みて(きしみて)かなし
いつの日も 励ましくれる夫の声 頑張らなくてもいいよと聞こゆ
誰よりも優しくあれ
脳梗塞による半身不随で、大好きな登山を諦めた父。旅行会社の添乗員として、たくさんのお客さんから感謝され笑顔を共有した父。
結果的にぼくは父と同じ道を歩んでいます。そのことで彼の偉大さを知ることが出来るのですね。
32年前、カナダで日本人旅行者向けの現地ガイドになったぼくに、父が言ってくれたエールです。
↓ ↓
不安だらけで海外へ向かう人たちだからこそ、現地で迎えるお前は誰よりも優しくあれ
亡くなる11時間前の「オンライン面会」 いつも以上に優しい笑顔を向けてくれた理由は、ぼくへの最後のメッセージですね、きっと。
温かい人であれ!
誰よりも優しくあれ!
お父さん・・・ ありがとう
話ベタでも不器用でも、
全身から滲み出る温かさ・優しさ。
そんな父を心から尊敬します。
お父さん、ありがとう。
やっとお母さんにも会えるね。諦めた登山も出来るね。
ときどきは、お父さんが大好きだった我が家のベランダにも来てね。大好きだったビールを飲もう!
偉大なあなたの背中を追いかけていきます。
見守り続けてくれた55年、いつまでも忘れないよ。
ありがとう、さよなら。